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あ や し い 書 簡 箋

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浅草の鬼婆

用明天皇(ようめいてんのう)期、西暦587年頃。浅草での古い陰惨な伝説。

浅草の地名の由来は、諸説がああって、アイヌ語のアツアクサ(海を越すという意味)、チベット語のアーシャ・クシャ(聖のおわす所の意味)などがある。 

定説では

往古下谷より此わたりへかけて平地にして武蔵野の末にて草もおのづから浅々しき故浅草と云しなるべしといへりさもあらんか(江戸往古図説)

 

西暦587年頃と云えば、’浅草寺もまだ無い。文献では「吾妻鏡1181年養和元年))」の条に浅草の名が見える。

浅い草が、ぼうぼうと生え渡った土地…ということかも知れない。其れ以前は浅茅ヶ原(あさぢがはら)と呼んで居たらしい。

 

↑月岡芳年「孤家月」

 

月岡芳年浅茅ヶ原の鬼婆伝説が残っている。棲家は今で云う、浅草寺二天門からすぐ側にあった。「一つ家の鬼婆(ひとつやのおにばば)」とも呼ばれたらしい。私には妖怪じみた非道な連続殺人事件にしか見えない。

 

其の時代、武蔵国花川戸の周辺は浅茅ヶ原と呼ばれた原野で、陸奥国(東北)から下総国(東海道)を結ぶ唯一の道があった。が、荒んだ荒地で宿など全く無い。旅人たちは唯一あった、あばら家に宿を借りた。老婆と若く美しい娘が棲んでいた。が、此れがとんでもない老婆だった。旅人を宿泊させると、夜、寝床を襲い、石枕で頭を叩き割って殺害して、骸(むくろ)を近所の池に投げ捨て、金品を奪って居た。

娘は行いを諌(いさ)めていたが、聞き入れられなかった。

 

老婆が殺した旅人が999人に達した或る日、稚児(ちご〜6歳くらいまでの幼児)が宿を借りた。老婆は躊躇することなく、寝床の稚児の頭を石で叩き割った。しかし寝床の中の骸は自分の娘だった。娘は稚児に変装して身代わりとなり、自分の命をもって老婆の行いを咎めようとしたのだ。

老婆が悔いていたところに、其の稚児が現れた。実は稚児は浅草寺観音菩薩であり、老婆に人道を説くために化身となって家を訪れたのだった。

其の後、観音菩薩の力でに化身した老婆が娘の亡骸と共に池へ消えたとか、菩薩が娘の亡骸を抱いて消えた後、老婆が池に身を投げたとも謂れる、老婆は仏門に入って死者たちを弔ったとも云われる伝承が残っている。

 

 

女性が、宿業や怨念によって鬼化けしたものを鬼女(きじょ)と呼ばれた。老婆姿のものを鬼婆と云う。

 

↑作者不詳「土佐お化け草紙・鬼女」

 

以前、此処で「安達ヶ原の鬼婆(黒塚)」を取り上げた。此の鬼婆は娘の病気には妊婦の生き肝が善い聞き、京都から福島県達ヶ原まで旅をして殺人を犯す話である。間違いから娘を殺害して鬼婆に化身する話。最期は坊主の持って居た菩薩像が矢を放って仕留めたと云う。

「茅ヶ原の鬼婆」は、其処でも書いているが、幼子に化けた菩薩が娘にうって代って、聖書による「贖罪(しょくざい〜あがない)」をさせる話だ共に贖罪の話と見受けられる。

鬼婆伝説は全国に分布し、人間が妖怪に変化したものとされている。

 

花川戸公園・姥ヶ池の跡地として史跡が残っている。前の道路は、中国観光客の観光バスが何台も路上駐車する迷惑な場所だ。しかし、此処を訪れる人は居ない。只の公園内にある小池である。大昔にそんな伝説が残っている場所などとは思って居ないであろう。日本人でも知らないのでは無いか?

観光案内の人力車をよく見かける。決まり切ったマニュアル浅草案内をする。車夫はアルバイトでマニュアルを教わり、勤しんでいるのだろう。私がやったなら浅草オカルト伝説のオンパレードをやってやるんだけどね……。誰も来ないかな。

 

↑東京都台東区・花川戸公園、姥ヶ池。(Wikipediaより)

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