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カリスマの聖女

↑マザー・テレサ

 

本名はゴンジャ・アグネサ。
1910年8月26日生:オスマン帝国 ユスキュプ(マケドニア スコピエ)-1997年9月5日(満87歳没):インド 西ベンガル州 コルカタ(カルカッタ)
・カトリック修道女
・1979年ノーベル賞受賞
・修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。カトリック教会の聖人

 

マザー・テレサ(Mother Teresa)、またはコルカタの聖テレサ (Saint Teresa of Calcutta) 。
長きに渡り献身的に、苦しみのなかにいる人々に安息を行った。
「私は神の鉛筆です。描くのは神なのです」。

 

マザーは1929年-1947年までカルカッタ(現在のコルカタ)の聖マリア学院で地理と歴史を教えていた。戦後のインドは独立によって、国内が内乱状態になり、ヒンドゥー教、イスラム教などの信者達の諍(いさか)いが続き、町には道ばたで暴力、あるいは病気で死に行く者が見捨てられていた。
1946年9月、ダージリンに向かう駅にて「全てを捨て、最も貧しい人の中で働くように」と云う啓示をイエスから受けたと云われる。彼女は修道院を離れてスラムで活動を行う許可を求めたがバチカンの修道会管轄庁やカトリック教会上層部は、認可を与えなかった。それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意した。
1948年、教皇・ピウス12世から修道院外居住の許可が得られ、テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街へと向かった。彼女はインド女性が着る素朴な木綿のサリーを身にまとい、ホームレスの子供たちに街頭で無料授業を行った。あの服装・・・サリーの白は純粋さを、青のラインは聖母マリアを表している。
やがて聖マリア学院時代の教え子たちがボランティアとして集まり始め、多々から寄付が寄せられるようになる。

 

1950年、「神の愛の宣教者会」設立の許可を得る。
「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることの無い全ての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働くこと」
インド政府の協力で、ヒンドゥー教の廃寺院を譲り受け「死を待つ人々の家」と云うホスピスを開設した。反発は大きかった。「死に行く者をキリスト教に改宗させようとしている。我々の寺院で!」命さえ狙われる。しかし、亡くなった者に対して、其の者の宗教で看取った。ヒンドゥー教徒にはガンジス川の水を口に含ませ、イスラム教徒にはクルアーンを読んで聞かせた。
「あの方は我々身内が見捨てた者を看護している・・・」
カルカッタの人々は、宗派を問わないテレサたちの活動に大きな関心が寄せられた。

 

此れがマザーの生涯の活動の起点であります。其の後、彼女の活動は世界中に広がって行くのです。

 

さて、クリストファー・ヒッチェンズは1995年、「宣教師の立場」を刊行し、マザー・テレサを否定的に扱った。「彼女が世界中から集めた寄付金で、ベンガルにファーストクラスの病院を建てることだって可能だ。しかし、彼女はそうせず、衛生状態の悪い施設に患者を収容し、ろくに治療を施さなかった。痛みを和らげるなど嘘だ。死ぬこと、痛みに耐えることを賛美する、まさしくカルトのような施設だった。信仰する宗教に関係なく看病したと云うが、患者に、痛みに耐えれば天国へ行けると繰り返し洗脳した」と厳しく批判している。
リチャード・ドーキンスは「神は妄想である」の本書の中で、マザー・テレサを「彼女は聖人ではない」と批判した。クリティカ・ヴァラグールも昨今、2016年04月にハフィントン・ポストのアメリカ版でマザー・テレサを批判した。
動乱当時のインドの少子化対策に違反している、更にカルカッタを貧しく、秩序の無い都市、特別で優秀な白人が有色人種を助ける・・・と云う、カトリック教会のメディア・キャンペーンだと主張した。

 

2013年3月2日、衝撃的は記事が世に出た。
インドの日刊インターネット新聞「The Times of India」に、「マザー・テレサのイメージはメディアによって作られたもの」だと云うのである。論文を寄稿したのは、モントリオール大学とオタワ大学の研究員たち。
彼らは、文献資料を細かく調査し、世界中に開設した517もの「死を待つ人々の家」は、衛生状態が悪く、医薬品も慢性的に足りず、満足な治療が施せなかったと報告している。更に「神の愛の宣教者会」は何百万ドルもの寄付金を受けており、金銭的に困っているわけではなかったと発表した。
そして、「マザー・テレサは、患者の痛みを和らげることはせず、痛みに耐えることを賛美して癒やしていた。多くの病人が、医師が治療をしてくれると思っていたにもかかわらず、彼女は、イエス・キリストの受難のように、痛みに耐えることは尊いのだと云った」。

 

奇跡話がある。バチカンは、「マザー・テレサは、ひどい腹痛に苦しむモニカ・ベスラという若いインド人女性の腹部に、宗教的なメダルを置き、祈ったことで治癒した」奇跡として伝えている。しかし、医師は、「モニカが患っていた卵巣嚢腫と結核は、投与された薬により治癒したのだ」と証言しており、否定した。

 

なお、マザー・テレサは晩年心臓病を患い、ペースメーカーを入れる手術などを受けていたが、自身は衛生的で設備が整った近代的なアメリカの病院で、痛みを和らげる麻酔薬を投与されながらの治療を受けていた。まさしく、聖人からは程遠い人間だった。

其の論文の締めくくりは、こうだ。「聖人的なイメージを持つマザー・テレサの創られた神話が、貧困にあえぐ人々の救済を目指す人道活動家たちを励ますことになっているのは確かだ。しかし、メディア報道は、もっと事実に基づいたことを伝えるべきだ」としている。

 

ハピズム:聖女ではなかったマザー・テレサ 「洗脳看護」「カルト施設」、その実態とは!?
 

ウィキメディア・コモンズ:マザー・テレサ
 

より一部抜粋、参照


わたしにはマザー・テレサを知る方法はメディアしか無い。もしそれがメディア・コントロールだったのか?知る由もない。他の事柄でも文献などをあさっていると、賛否両論が多数ある。そう云う場合、自分で結論を出すしか無い。
こういう記事はかつて、本人を現場でしっかり同行取材したのだろうか?
マザーは、生前「わたしはシンプルな事が好きなの」と云っていた。わたしには「迫害された人々を助けたい」と云うシンプルな意味だと受け取っている。団体運営のため・・・などどうでも善いのだ。只、無心に「迫害された人々を助けたい」と云う思いだったのだと思う。
ノーベル賞受賞の時の晩餐会で「此のディナーは必要ない。貧しい人々のためにお金を使って」と云ったり、「神の愛の宣教者会」の会議が高級ホテルで行われることを嫌がり、出されたミネラルウォーターに「此れ、1本幾ら?」とホテル側に訪ねたと云う。「1本300円(日本円換算)です」と云われ、「カルカッタなら子供の教育費1年分・・・」と云って幹部を禁(いさ)めた。
此の否定記事は何を表すのか?
彼女は実は極悪人である?
わたしには何か宗教的なもの、組織団体との軋轢(あつれき)、其の他諸々のことが関係しているように思える。人は10人も集まれば、創始者の思惑など消えてしまうものである。ボランティア団体でも必要なのは「資金」だ。
そういう事柄が枝葉を付けて行ったように思える。
神の様な「他人への献身さ」などを信じる者などそうは居ない、からではないか?

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