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磐梯山の人喰い怪物

↑瓦版「奥州会津怪獣之絵図」

 

天明元年(1781年)、江戸の時代、東北一帯で、子供が行方不明になる事件が続発し、東北諸藩には調査する旨、通達されていた。そして調査の結果、磐梯山に棲む怪物が子供を捕らえて喰っていることが判明した。

広範囲の藩から多くの狩人が集まり、怪物を退治するべく磐梯山を取り囲んだが、怪物に鉄砲を撃っても、皮が分厚いのか跳ね返されてしまった。しかし、翌年、天明2年7月22日(1782年)、会津磐梯山中にて此の怪物は仕留められた。南部藩浪人・松前三平と云う鉄砲の名手が、大筒を用いて退治した。松前三平は、其の後、御馬廻(大名護衛職)に取り立てられたそうだ。

怪物討伐の顛末は「奥州会津怪獣之絵図」として当時、瓦版になり、世間に広く知れ渡った。体長約4尺8寸(約1,44m)。全身、毛に覆われ、1丈7尺(約5m)の尾を引きずっていた。大きな目に耳まで裂けた口からは大きな牙。また、鼻は尖った鳥の嘴(くちばし)のようで長く、手足に水掻きが付いていたと書かれてあった。

 

怪物の正体は何だったのだろうか?発見された場所や日時、姿などが克明に記録されているので、あながち嘘とも思えない。捕獲したと云うことは現物が存在したと云うことだ。江戸時代と云うことで写真など証拠らしきものは残されていない。せめて木乃伊(ミイラ)にでもして、保存されていればと思うが、現代でもそんなものが残っていても誰も信用しないであろう。

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