三蔵法師は偉い人
2014.06.26 Thursday

↑玄奘三蔵
中国の古代説話「西遊記」。誰もが知ってる孫悟空。ドラゴンボールじゃないですよ。
ドラゴンボールには悟空の仲間に豚(猪八戒?)は出て来るが、河童(沙悟浄は本来、河童では無いが)は出て来ない。ピッコロが近いのかな?坊主も出て来ない。
「西遊記」の悟空はサイヤ人(宇宙戦士)じゃないよ。石から生まれた猿なんだよ。
どうも此処の処を説明しておかないと・・・。「えっ?!違うの?」なんて云う人が出て来るかもしれないんで。
中国古代説話「西遊記」の中心人物が三蔵法師。此の人は実在した人です。
中国に仏典を齎(もたら)した偉いお坊さんなんですよ。日本も感謝しなければいけない。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう〜600年若しくは602年〜664年)。中国唐時代の僧侶。
13歳の時、僧になり、法名を玄奘と呼ばれた。其の後、仏法と高僧の教えを求めて、中国各地を巡歴したが、疑問が深まるばかりだった。
つまり、此の時代の経典や教えやらは、言伝えのいい加減だったわけです。彼は本場天竺(てんじく〜インド)に赴き、原典に接し、漢訳解義を得るしかないと思い立ったのです。
しかし、当時の唐の国は鎖国政策をとっており、国の出入りを禁止していた。貞観3年(629年)玄奘27歳。密出国。
身近な者達は目的を知っていたが、「彼は生きては帰って来ないだろう」と噂した。
過酷な旅であり、当時、其の界隈は盗賊等、頻繁で、末には妖怪や魔が渦巻いている・・・などとも云われていた。道筋は灼熱のタクラマカン砂漠を歩き、厳寒の天山山脈を越え・・・と云う苛酷な旅。
しかし、17年後、彼は帰って来たのです。貞観19年(645年)、大量の天竺の経典を携えて。
「信じられない!奇跡だ!」唐の国は驚喜乱舞。唐の帝・太宗が使者を出し、大歓迎された。
玄奘は、持ち帰った仏典の翻訳に残りの生涯を賭け、麟徳元年(664年)62歳で没した。
彼が翻訳した経典の数は、大般若経600巻をはじめ74部1335巻。「般若心経」の基となったのが、大般若経です。
「西遊記」が生まれた経緯がお解りになると思う。
菩薩に見守られ,、超人の御供を従えて、魔界を超え、悪鬼や悪し妖怪を懲らしめて天竺へ・・・。魔術と妖術の世界。そりゃ、面白いに決まってる。
無論、孫悟空や猪八戒、沙悟浄は存在しない。玄奘の口述から記した「大唐西域記」、玄奘の弟子の慧立<えりゅう>と<げんそう>が書いた「大唐大慈恩寺三蔵法師伝」が、元みたいです。
本来の玄奘三蔵の旅は、
天竺・西域、通過した国が128国、距離は3万km。出発してから天竺に辿り着くのに3年掛かり、中インドのナーランダー寺院にて戒賢論師に師事し、唯識教学を学び、インド各地の仏跡を訪ね歩いた。
帰路も往路と同じで、仏像・仏舎利のほかサンスクリット(梵語)の仏経原典657部を携え、長安の都に帰って来た。玄奘44歳。仏典の翻訳に生涯を賭け、62歳没。

↑遣唐使船と空海
平安時代初期の僧。空海(弘法大師 宝亀5年(774年) - 承和2年(835年)。
日本仏教の大勢が、奈良仏教から平安仏教への流れに位置し、中国より真言密教をもたらした。
延暦23年(804年)、遣唐使の留学僧として唐・長安に渡った。
師事したのは、醴泉寺の印度僧般若三蔵と云う人。
仏教に於いて、玄奘三蔵が日本に齎(もたら)したものも大きい。
弘法大師伝説が日本各地に5,000以上ある。どうも眉唾臭い。
弟子達によるものだとは思うんですが、興味ある譚が多い。
杖をつくと泉が湧き、井戸や池になった・・・なんて「弘法水」の伝承が各地にあるんですぞ。
伝承自体があやしいんですがね。