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あ や し い 書 簡 箋

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目覚める木乃伊

↑ロザリア・ロンバルドの木乃伊

伊太利亜(イタリア)・シチリア島 カプチン修道会地下納骨堂に安置されているロザリア・ロンバルド(Rosalia・Lombardo、1918年 - 1920年12月6日)の木乃伊は、世界一美しい木乃伊として有名です。只、眠っているだけとしか思え無い。肺炎により僅か2歳で此の世を去った。

彼女のことは以前書いた。↓

木乃伊と死蝋

彼女の父親マリオ・ロンバルドは、深い悲しみに暮れ、エンバーマー(死体防腐処理師)に少女を「此の侭、永遠に変わらず残してくれ」と依頼した。現代でもロザリアの死体防腐処理法は脅威であるらしい。そりゃあ、90年経っても対して変わらないんだから。
どうやら死蝋(しろう)ではなく、細工であるらしい。今も此処に多くの観光客が変わらぬ彼女を視に来るのだそうです。

其のロザリアの木乃伊に変な噂話が囁かれた。
「彼女の瞼が開く・・・」



カメラの映像 Rosalia Opening Her Eyes

カプチン・フランシスコ修道会の館長ダリオ・ピオンビーノ・マスカリ氏は云う。
「時間の経過で変化する光が窓を通ることで起こる目の錯覚です。元元、ロザリアの瞳は完全に閉じてはいないのです。今までも閉じていなかったのです」

ロザリアは高性能の硝子製無湿度の棺に移され、水平になるよう少し、位置を調節した。此の新しい位置が、偶偶、少女の瞼を視易くしているのだと云う。
「変な噂を立てるな」と、お怒りらしいとか。
わたしに云わせれば・・・無理も無い・・・です。
| 22:32 | 玄妙其の他 | - | trackbacks(0) |
古代のメッキ
兵馬俑.jpg
↑写真で見る中国〈2〉秦の兵馬俑 大型本2006/11発行

兵馬俑(へいばよう)は、古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったもの。
陝西省西安(せんせいしょうせいあんー秦の都)を北東に30km程の驪山(りざん)、秦の始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)の陵墓の周辺に埋納された遺跡を指すことが多い。車百数台、馬600体、個々に顔の異なる武士など、8千数百体。全て東向きです。1987年、世界文化遺産に登録された。
兵馬俑のことは多くの人が御存知であろうと思い、詳細は省く。細かく知りたい人はネットで検索してください。

1974年に発見された兵馬俑は現在も色々な調査、分析が行われています。其の中で奇妙なものが取沙汰されている。兵士が腰に長さ90センチの青銅製の長剣を携えていた。
其の長剣は全く錆びてもいなく、切れ味も鋭いのだそうだ。クロムメッキが施されている・・・と云うのであります。

剣.jpg

秦と云えば中国の始めの皇帝、統一した人であります。約2200年前。此の技術は泰の書物やらには記載されていない。後の漢の時代の銅剣は、ボロボロに腐食していることから技術は継承されていない。秦時代だけの技術であります。
クロムメッキ加工は硬度が高くなり光沢を保ち熱にも強くなる。腐食にも強く、錆難くなる。

クロムメッキは電解質のうんじゃらものであります。発明されたのは1937年の独逸(ドイツ)。今から100年も経っていない近代技術であります。


クロムメッキは電気を起こせなければ作れない。電気と云えば「バグダッド電池」と云うオーパーツがあります。

電池.jpg
↑バグダッド電池

1930年代、奇妙な壷がバグダッド周辺の古代遺跡から多々発見された。
アスファルトの詰めもので封印された素焼きの壷の中に、銅で出来た円筒形容器が納められており、容器の中心部には鉄製の棒が挿入されていた。
当時、バグダッド・イラク博物館館長ドイツ人ヴィルヘルム・ケーニッヒは、「古代パルティア人(BC248年-AD226年)が装飾品に金メッキを施す為に使用した電池だ」と主張した。
「古代の電池」仮説は、其の後、多くの研究者たちに検討された。
硫酸銅、酢酸、クエン酸、フルーツジュース、ベンゾキノンなど、古代パルティア人にも使用可能な電解液が次々に試され、レプリカにおいて、微弱ながらも電流を発生させることが示された。
電解液に葡萄ジュースを用いた実験では、シアン化金の溶液に浸した銀製品を金メッキ加工させることにも成功している。


扨(さて)、どちらも眉唾臭い話であります。
バグダッド電池に関しては現在、信憑性に掛けると云う指摘が多い。時代に関しても怪しい・・・と主張されております。事実は小説より奇なり!
バグダッド電池は失敗作を土中に埋めたのかもしれない。少しの改良で確かに電気は起きるのであります。書物入れと云う意見もあるが、もっと保存に善い方法を知っていたはずであります。バグダットと秦はそう、遠く無いし、陸続きであります。こういう技術交流があったとされても怪訝しくは無い。肯定、否定も今は解らない・・・そうとれる・・・と云うのが本筋でしょうが、兵馬俑のクロムメッキ長剣は詳細が解らない。それらしきものが出た・・・と云う発表だけであります。
奇しくも時代が同じです。どちらも現物が存在するのだから、更なる研究発表に期待しましょう。
| 10:45 | 玄妙其の他 | - | trackbacks(0) |
ぶら下がる怨霊?


此れが何の写真かよくわからない。
何でも此の家に引っ越して来た記念に撮ったものだそうです。詳細がわからないと云うことは悪戯かもしれないが、判断しかねるとしか云いようが無い。ネットで巷では怨霊として流れているものであります。

心霊写真が本物かどうか?調査、分析するのは難しいらしい。時を待つとします。

勝手ながらわたしが思うに、怨霊を入れてうまく構図が収まっているな・・・と思える。通常なら奥さんと子供、おばあちゃん?を真ん中に添えるはず。少々疑っております。
しかし、トリミングしているのかもしれない。全体写真を知らないのです。

此れ何ぞどうどうとしているが、日本の幽霊写真とかって何で写真の端っこにチョコっと写るんだろう?と常に思っている。嘘っぽくてあやしいんだよね。
| 22:01 | 玄妙其の他 | - | trackbacks(0) |
生きているUFO

↑皇居

1976年7月15日午後6時半頃のことであります。
彼の皇居上空に奇怪なものが現れた。
目撃したのは、皇居から直ぐの警察総合庁舎4F鑑識課の職員であります。偶偶、皇居の方に目を向けると信じられない物が浮かんでいた。「おい!視ろ!あれはUFOじゃないか?」残業していた他の職員6人が窓の傍に遣って来た。
物体の大きさは直径約10m。色は焦げ茶、或いは黒。其の形状が屯でも無い。丸だったり、角ばったりと姿を変え、更に触手らしきものを伸ばしていたと云う。

扨(さて)、大騒ぎになった。残業していた職員全員が窓際に集まって来た。其の怪しき物体は、其の後、高度を上げ、四ッ谷方面に移動し、視得無く成った。

誰もが、あっけに取られ、カメラを持ち出すのさえ忘れていた。つまり、証拠と呼べるものは無い。とは云うものの警察庁鑑識課、科学知識のプロ職員さん達であります。此れを見間違いだとは思えない。
触手を伸ばしていた・・・まるで生き物のようではありますまいか。

実は「生きているUFO」は、亜米利加(アメリカ)のUFO研究家トレバー・J・コンスタブルと云う人が既に研究している。亜米利加にも、其の手の物が目撃されているのです。
「クリッター」と呼ばれている。


↑1959年1月、トレバー氏が亜米利加・カリフォルニア州で撮影したクリッター。

彼の研究結果からは、或る種のUFOは、空中を彷徨っている生物である・・・と主張しているのです。
彼曰く、

1. 地球上のもの
2. 地球外のもの
3. 地球の異質な生物

と、UFOとは3つに分けられる。此の3. がクリッターであり、天界もしくは異界に棲息する未知の生物である・・・としている。

何年か前、わたしもファンである「蟲師(むしし)」と云う漫画が話題になった。此の中の蟲は大昔から棲息しているが、特別な人間にしか視得無く、自然界や人間にも影響を与えている・・・と云う設定のものであります。

何やらクリッターも蟲に近いものなのかも知れませんぞ。
| 22:01 | 玄妙其の他 | - | trackbacks(0) |
知られざる人、佐倉惣五郎の凄まじい怨念
佐倉惣五郎.jpg
↑佐倉惣五郎

佐倉惣五郎(さくらそうごろう)は、江戸時代前期の下総国印旛郡公津村(現千葉県成田市台方)の名主。義人と呼ばれる人であります。姓は木内氏、俗称宗吾。堀田領内佐倉城下に生まれ、本名を木内惣五郎と云う。

農民たちが飢饉に喘(あえ)いでいた。藩主堀田氏の苛政、年貢取立ての厳しさは年年増し、惣五郎は、藩や江戸役人、幕府老中にも訴えたが聞き入れられなかった。「一揆しかない!」と農民たちが思い詰める中、将軍徳川家綱への直訴を思い立つ。
しかし将軍家への直訴は死罪であります。其の為、妻おさんに離縁を促したが、おさんは離縁状を燃やし、4人の子供たちだけ離縁させた。一家全員を死罪から逃れる為であります。

承応元年(1652年)12月20日、惣五郎は、上野寛永寺に参詣する四代将軍徳川家綱に直訴した。かいあって家綱は、佐倉藩への3年の年貢減免を決定してくれる。佐倉藩領民は危機を脱したのである。しかし、恥をかかされた領主堀田正信が宗五郎を許す訳が無い。宗五郎を捕らえ、拷問し、宗五郎の目前で、妻おせんと4人の子供を斬首。宗五郎は磔にかけられたまま憤死した。

しかし。其の後、夜中に磔のまま宙を舞う宗五郎の怨霊が目撃されるようになった。
領民を悪政で苦しめた佐倉藩役人たちが次々と怪死を遂げ、40日で全員死亡。堀田正信も血塗れの宗五郎を視て乱心。狂った正信は側近、腰元を次々と惨殺する。正信の妻も病に倒れ、正信自身は錯乱死。堀田家は改易(かいえき〜更迭-クビ)となった。

領民たちは宗五郎のための霊堂を建て、義人の霊を手厚く奉った。
現千葉県成田市の東勝寺が其れであります。

宗五霊堂(東勝寺)公式サイト

側近が全員死亡・・・ってのは、凄まじいですね。殿様も気が狂って・・・。有る意味、菅原道真公より凄まじい怨霊です。只の与太話とは思えません。あまりメジャーな人ではありませんが、其の怨念はTOPクラスの凄まじさ。
| 10:39 | 玄妙其の他 | - | trackbacks(0) |
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